奈落の底への伝言 ― 2012年03月02日 00:57
奈落の底への伝言38・・身分
そもそも、大学は、価値があると言い切れるか?
奈落の底への伝言 ― 2012年03月02日 14:06
奈落の底への伝言39・・甘い誘惑はウソ
我々は、困ったことに、この社会に住むしかない。見てきたわけではないのだが、毎日新聞が報じるところでは、
“芸能界志望の女性に「いとこがAKB48にいて、芸能人の知り合いが多い」などとウソをつき、現金をだまし取ったとして、盛岡東署は北海道旭川市の男性(32)を詐欺容疑で逮捕した”という。・・現金だけで良かった・・
芸能界に入りたかったらオーディションでも受けるべきであろうかとも思うが、しかし、その世界は我々凡人の知らない世界だ。それほどの天国であろうか?・・実力が備わってなかったら天国とは遠かろう。
そうして、
メールには、毎々回、金儲けの話が来る・・・そんなことが簡単にできたら苦労しないのだ。つまりウソだな、これ。
人生で一番やさしいのが、役に立つ正しい学問を身につけることである・・そう思った日本人は多かったのだ。大抵は農業だったから、小鳥と共に起きて、蛭やら蚊なんぞに噛まれながら、爪を黒くして働く他はなかったのであるから、まあ、そう思ったのだ。それに、嫁も来てくれないしね。
我々の住んでいる世界は天国ではない。で、だれがソウしたかといえば、それは人間だ。困ったことにね。
そこで、学問で身を立てることにして、しかし、負けたとしたら、その場合は、人のいやがる仕事をするのが正しいのである。負けるといったところで、オーディションに比べたら簡単だ。
勉強よりも簡単だ・・なんていう誘惑は、だいたいウソだ。
奈落の底への伝言 ― 2012年03月02日 14:45
奈落の底への伝言40・・キツネ
だまされてはいけない。
女の前でアンアンと泣くやつは狐だよ。ああ、狐に悪かった。これ、人間のいだくイメージの狐さ。あざむく~狡猾(ずるがしこい)奴ぐらいの意だ。
多分に、良くないコトをしたわけだ。
これ、女性は泣く。特権だから、正しい。そこで男は、腹をくくるべきなのだ。大変なことをしたのだから償うしかないのだ。だが、童貞ぼうやとしては泣くという方法もある!卑怯者め。
泣けるわけが無かろうが。童貞は。つまり、その泣いている野郎は、まあ女タラシだよ。
こんなことは、場数を踏んだ女性には通用しないが、若い女性には通用するのだから用心だ。女性は被害者になりやすいとは小学校ぐらいから教えていることなのだ・・・が、赤ずきんちゃんには聞こえない。のだった、馬鹿。
困っている人に真から助けようとして(しかも、自分の食事を半分にしてでもだ)近づくのは親だけだよ。
ええっ、そうなの? ねえ、彼氏!
そうじゃないって言ってよ。直訳:Say it ain't so! (ウソぉーの意)
馬鹿。
奈落の底への伝言 ― 2012年03月02日 22:01
奈落の底への伝言41・・慈悲
お釈迦様は、地獄の底の様子を極楽からご覧になり、カンダタが生前、慈悲を与えた蜘蛛を思い出された。そこで、その慈悲相当の慈悲を下されたのだった。それが蜘蛛の糸であった。
ずいぶんと節約をされたものである。どこも予算難だ。
だが、この先はお釈迦様でなくとも見通せるのだ。ああ、危ないとね。そうして、果たせるかな・・やはり、予想通りに落ちた。この話は、聞いている子どもの側にも、多分、ソウなりそうだと予測され、寸部の狂いもなく的中するのである。
カンダタは施さなかった。蜘蛛ぐらいにしか。
だものだから、施されなかったのだ。慈悲の量が不足したのである。足らない者には、蜘蛛の糸ぐらいは降りてくるのであるが、まあ、天国の仲間には入らないということなのである。
困ったときだけのお願いではダメだな。
奈落の底で償うしか方法が無くなったら、もう、それをする。よいよい。
奈落の底への伝言 ― 2012年03月02日 22:03
奈落の底への伝言42・・筆を休もう
もう筆を休もう。雑音でもあろうし。
しかし、ちょいとしたお話をしてから幕としよう。昔、百助という頑固な男がいた。43歳にして自分を生んだのは良いとして45歳で病死。子ども5人の母子家庭となって、まあ平凡な生い立ちではなかった。
てなわけで、まあ、意地悪さも獲得したように思う。勉強家であったから、母譲りか、周囲を見下していた。25歳で東京に来てからも、教えに来たという態度で、ある日、島村という知人を訪ねた。やはり、学問の話ばかりであったが、やがて島村が「この一節が分からん」と翻訳中の文を見せた。オランダ語である。
見れば、むむ、これは難解!・・「これは、他の学者にも聞いたのか」と尋ねれば、誰に聞いても分からんとか。「面白い。ソレじゃあ僕が翻訳しよう」と言って、半時間ばかり無言で考えた。・・やはり、こうするものなのだ・・・
ロウソクをつけると影が、どうなるという話でチャント解明してみせたのだ。見ろ、東京たって、こんなもの。ふふーん、よし、昔、大阪にいたころに苦しんだ文を選りだして、知らんふりをして、学者先生の所をまわってみる。すると、みんなが読めない・・あまり道徳的ではないが、おかしくて止められない!!
東京のレベルとはこんなもの。学者先生方は、みな自分の試験に落ちたわけだ。だが、横浜の掘立小屋のような店の外国人と会って仰天した。会話も文字も通じないのだ。落胆しつつ、ははあ、あれは英語か仏語に違いあるまいと思う。
落胆は、すぐに新たな志を起こす。
オランダ語勉強の数年間は、死にものぐるいであったから、英語とて何とかするという志だ。
発音が最も分からないが、英語をオランダ語に訳する辞書があることが分かり、これは上役にお願いして買ってもらう。5両。 オランダ語になれば得意であったから、もう勝ったも同然。
明治時代が近い1859年のことだった。とは、この主人公の福沢諭吉が自伝で語ったことである。・・・英語の習得は、こうして達成されたのだ。
最近のコメント