梅林公園に行こう2015年01月23日 22:37

梅林公園に行こう

谷尾崎梅林公園 梅まつり

 谷尾崎の瘤取りじいさん

   このお爺さんは阿波に住んでいたとは、アノ人の指摘である。しかし、熊本市西区谷尾崎にもいたのである。が、その証明などはできない~価値が無いし。
 そのお爺さんにはレイのコブがあったが、まあ、大抵の方には見えない。見えないから無いというのは考えもので、たとえば上のアドレスあたりは見るまでは見えないのだ。このお爺さんの名は善兵さんといった。正直者であった。
 だが、この正直者という主張は、その他の者が不正直者ということになるので用心しなければならない。それは楽毅も言っていることであり、まあ、何事も用心ということらしい。
 善兵さんは後で鬼を会うことになるのだが、それは峠の茶屋の奧のことである。今でも見える人には見えるが、キジや猿などがいるところである。どうも話が横道に反れてならないが、とにかくその善兵さんは、もうすっかりお爺さんであった。別にコブで悩んだわけではなかったということで、あの芥川の言うような鼻の持ち主とは区別せねばならない。
 偽善者にだけはなりたくないものだ。これがお爺さんの口癖であり、信念でもあった。そのような者になるくらいなら悪人の方がまだ良い・・とかを言っていた。むろん、酒の席でである。酒は良い。偉人を見てみろ、李白や陶淵明を見ろ・・とも。が、偽善者はイカンので、このような知識は、所詮、インタネットを見ていただけだったのだが。

だいたい、このように酒を肯定的に言う人は自分が酒好きなだけなのである。我々もPCが良いとか言うのは慎まねばなるまい。
 お爺さんは下谷の家で一杯やりたくなっていた。一杯やれば踊れるほどに陽気になれるのだ。まあ、これが後に幸運をもたらすのであるが。

梅林公園に行こう2015年01月25日 00:17

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谷尾崎梅林公園 梅まつり

 踊りと言えば、それは迎平地区の「ひょっとこ愛笑会」のひょっとこ踊りである。
善兵さんは、どうも、あの元公民館長さんに似た人であった。髪があるので、禿カツラが似合う。羨ましいことである。とにかくタン・タン・タヌキ踊りも、ひょっとこ踊りもこなせたというから、達人の域に達していた。その秘訣などは後で分かろう。

 さて、  どのような英雄でも、ただ英雄なだけではダメである。神さんが万能の人で、何事もたやすく自在にできたでは、話はスグ終わる。これでは子どもが寝つく前に終わるし、神さんで無い人はあきらめろ、であるから人間どもが何もせんようになる。
 神さんは、人に生まれ変わって自然の法則の内で創造するべきなのだ。これでこそ、人々の手本なるのであるが、イエスのように、つい、はずみで十字架まで行かせた・・・主役消えた・・エーイ復活だあぁ って、したように思う。
 おい、おい、自然法則はどうなったのだ。何? 乙女が生んだ子で元々が奇跡だったのか。で、復活後に信者には会ったが、ローマ皇帝とは会わなかったか。そうして、神は、ここに見よ、あそこに見よと言うようには現れんとか言って、何か、言い含めらるなあ。
 谷尾崎梅林公園と親戚の太宰府の菅原さんなどのように夢枕に立ったり、雷でも落とせば良かったのだ。簡単に神社ができとる。だもんで、聖書もお経もA4一枚で脱稿とかになってイナイ。聖書など非常に薄い紙に両面印刷してあってコンサイス辞典だ。
 あれでは英語に懲りた方は読まん。仏典の巻物などは習字の苦手な方は読まん。トラウマなのだ。PTSD心的外傷後ストレス障害なのだ。ワシは聖典を読むので医者を、医者を、呼べ。紙質がイヤで失神したらどうすのだ。凡人には読めん仕組みだ。医者を、医者を呼んでぇ読む書物だったのだ。罠だったのだ。
 とか言っていたので善兵さんも、となりの爺さんも悟りには至ってなかった。まあ、双方共に達人ではあったのだが。

梅林公園に行こう2015年01月25日 23:26

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http://www.ne.jp/asahi/umematuri/taniozaki/

 ところで、梅林公園周辺には悪魔などはいなかったが、善兵さんの横に与三爺さんという方がいた。名前など、どうでも良いではないかとかは言ってはいけない。それではロシア文学など読めん。
 で、この方は、まあ、気の毒な方だ。名前が将来を予言している。名をつけた方としては、良いことが3つ授かるようにつけたらしいのだが。だが、しかし、将来、もらうのはコブだ。そう運命づけられている。
 この与三爺さんの性格などは、すぐ分かる。善兵さんの反対に決まっているからである。ということは、酒を飲まないし、偽善者だ・・簡単だ。

 これと比べると、主役の善兵さんという名は、どうも兵法家のようである。兵法家というのは、言ってしまえば、戦いにワナとかをかける人のことである。どちらかと言えば陸軍向きだものでB-29などは防げんのであるが。それに、間者(スパイ)を放つにしてもUSAだとお手上げであったろう。で、負けたわけだ。
 しかし、今回は陸の上の話であるから、正直に卑怯な手も使える。そうして、法律違反とかはしないので、戦うと勝つ。与三爺さんは勝てないのだ・・これは、どうしたものであろうかと思う。我々、こういうことによく遭遇するからだ。

 改めて言おう。与三爺さんは、深酒は控えるものの、偽善者で、ケチで、ずるくて、なまけ者だ。それで正直者で努力家の善兵さんに負ける。教育的として聞かされる方も納得するしかない。だが、しかしだ、与三爺さん生活習慣は、やっと退職とかをしたら、やってみたい我々の本性を現しているように思う。悩みは尽きないことだが、もたもたしていては話は進まない。

 とにかく善兵さんは斧をもって梅林公園の座禅石のあたりから山に出かけた。職業が山林業者だったわけだ。

梅林公園に行こう2015年01月27日 02:02

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谷尾崎梅林公園 梅まつり

 斧を持つというのは比喩だ。斧と言っておけば、洋の東西を問わず木こりである。柴刈りに行っているようなので、鎌ぐらいを持って行ったように思うし、むろん、チェンソーでも一向にかまわない。小さいことだ。

 善兵さんは、谷尾崎梅林公園の座禅石から大谷方向へ向かい、自然の家あたりに来たが、どうも、大あらしの兆しだ。正直者として、家族が心配するとイカンと引き返すも、ピカピカ、ガラガラ、ダぁアンと雷鳴が轟くし、雨がザアザア降ってくる。
正直な所、今日は気が進まなかったのだが、こうゆうふうに当たるものだと思いながら、エイと飛び降りると、谷隠軒の休憩所に落ちた。そこは、大きな池底のように広がっていて、今の谷尾崎町公民館の東南の位置に当たる。
 善兵さんは正直者で勉強家であったから、ゆらぎ無い確信を持っている。清く正しくあれば(自分のことである)、目的は遂げられる。偽善を止めて、正直であれば、智恵が湧き、気楽に運を切り開けるものなのだというものであった。

 だが、しかし、今は、日が暮れ、笹の舞う暴風雨に、渦巻く濁流である。心細いかぎりであった。すると、金峰山の方からガヤガヤと大騒ぎをしながら下りてくる人々の声が聞こえてきた。やれやれ、助かったわいと、のぞけば、何と、それは鬼であった。
青い着物の赤鬼、赤い着物の黒鬼らが、山猫の目のようなキラキラ光る明かり(LEDより明るくい電池不要の-心配するな、小さいことだ)を持って、どやどやと下りて来ていたのだ。

 鬼が着くと、すっかり月夜になった。  鬼どもは、カシラを真ん中にして、押しくら饅頭などで地響きを起こす大暴れ。しかし、酒も出て楽しそうな酒盛りになってきたではないか。カシラは、「さあだれか歌を歌う者はないか。踊りを踊る者はないか。」と言って、そこらを見回す。
 そばに座っていた鬼が出し抜けに大きな声で歌を歌い出し、どの鬼も前へ飛び出してきて、さんざん踊りに踊っては引っ込む。という具合に、代わる代わる踊りを踊ったので、カシラは、高笑いをした。「あッは、あッは。おもしろい、おもしろい。今夜のようなゆかいな宴会ははじめてだ。だが、もっとめずらしい踊りを踊って見せる者はないか。」とわめいた。
 こ、これはと、兵法家の目が光った。勝負どころだ、そう思ったのだ。

梅林公園に行こう2015年01月28日 01:20

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http://www.ne.jp/asahi/umematuri/taniozaki/

 酒盛りになってきたといっても、うっかり飛び出せば、一口にアングリやられては大へんだ。だが、虎穴に入らずんば虎児は得られんとも思い直し、そうして優柔不断では不正直者のすることだ声に出し、よし、と決断をした。

 ・・優柔不断と正直には何の関係もないとは思うのだが、人の決断とは、このようにして決まる。酒好きは酒を見ると、ずいぶんガマンをする。これだけガマンしたのであるから、もう飲んでも良かろうとか思う。
第一、今日は正月だ、彼岸だ、卒業だ、誕生だ、記念日だ、いいサカナ買った、残念会だと言い、飲めん者は使えんとかも言うから、根拠など何もいらんのである。ガマンといっても30分ほどだったのだが。頑張り者で正直者には、大抵が許される。ワシントンの話など、子どもでも分かることなのだ。

 さあ、後は、タイミングだ。餅つきであれば、合いの手はキネの上がる直前にしなければならん。さて、この場合は-、おお、そうだ、カシラに酒を注がれている時ときであろう。杯を投げられんのだからな。
「ええい。食われたら、それまでよ」と、腰に斧をさし、帽子を鼻頭までかぶって、鬼どもの歌に合わせ「よう、こりゃこりゃ」とか言いながらカシラ鬼の鼻先へ飛び出した。ああっと、ビックリしたのは鬼の方だった。「何だ、これは」と総立ちになっての大騒ぎ。

 だが、善兵爺さんは、トックリをラッパにくわえ、拍子を取って飲むわ、ひょっとこ踊りはするわ、左へ右への大立ち回り、くるりくるりと跳ね回りながら「よう、こりゃこりゃ」と酔声を出して踊りまくった。早く酔ったが勝ちなのだ。これには、鬼どももみんな釣り込まれ、いっしょに手拍子を合わせ「いいぞお、もっとヤレヤレ」と、はちきれんばかりの大笑いなってしまったではないか。こうなると、これは兵法なのか、飲んべえなのかは分からないのだが。

 夜もふけ、踊りがすむと、カシラ鬼は「爺さん、明日も来て踊るのだぞ」と言う。
「へえへえ、参りますとも。今晩は急なことで、稽古をしていませんでしたから、明晩までには、おさらいをしてまいりましょう」と言うも、三ばんめに座っていた鬼が「約束を違えさせないために、何か”質”を取ろう」と言い出した。
 では、帽子か斧かとなったのだが、カシラの一声「コブが良い」に決まった。善兵爺さんは心の中では「しめた」と思いつつ「おやおや、とんでもない。目玉を抜かれましても、鼻を切られましても、このコブだけは、どうかごかんべんを。長年、宝のようにぶら下げている、大事な大事なものですから」とびっくり顔をした。
 ウソも方便だ。たまになら、正直者には許されるのだ。あくまでも偽善では無いのだ。