梅林公園に行こう2015年02月08日 00:24

梅林公園に行こう

谷尾崎梅林公園 梅まつり

 さて、鬼神のような働きという表現があるが、これは、神のような働きではイケナイのであろうか。そう、イケナイのである。神のような働きとなると、それは、どうも創造とか、美とか、女性の響きがするのである。それで、罰は地獄の鬼あたりが下請けをしているように思う。それはずるかろう。韓非子も、それでは失敗すると言っているから、そうであろう。

 この点で谷尾崎日吉神社のご神体は、荒魂(あらたま)だ。この方は破壊神の面が大きい。チマチマと、作り直すなんて能率が良くない。一旦、破壊し尽くしてから作るのが早いのだ。というわけで、鬼神の働きとが圧倒的な働きという意味となる。一発改善というようなものは、鬼でなければならないのである。そういう鬼に、キジや猿が勝ったというのはウソに決まっていよう。

 前置きが長くなったが、カシラ鬼は二人の爺さんの運命を握っていたのであった。だいたい、外科手術となれば糸が取れるまで10日かかるが、鬼さんの手にかかると1秒以下ということから、まあ、並の人間の10×24×60×60倍の力量である。計算すると90万倍となるから、オリンピック工事など1日であろう。威力、お分かりかな。

 すでに善兵爺さんは、鬼どもに囲まれているのであるが、時間を止めていた。というか、天界の1日は、下界の1年というから、天人の動きは高速で見えないだけなのである。さて、コブを取ったとして、その後をどうするか。
 カシラ鬼は、考える。その時間はあるのである。
正直者に返すか、偽善者に渡すかの二者択一である。これをサイコロで言えば、奇数か偶数か、となる。コンピュータでやれば一秒で10万回も振れよう。たやすい、たやすすぎる・・・人の運命は、その程度で良いか。

 では、5回ずつ振って合計が多い方を勝ちとすれば、とかしても、似たようなものか。では、下駄を飛ばせばどうか? などを思いつく。いや、シュミレーション(模擬実験)が良かろう。善兵にコブを返して今まで通りが良いか、与三爺さんに2つのコブがつくかの二者択一だ。前者だと今まで通りで、何事も無しか。後者だと、鬼の威力が再認識されようから、まあ、我々としては得だ。しかし、ソレでは露骨な利益追求主義であろう。もっと、水が上から下に落ちるように自然の法則で成されるべきなのだ。

 うーむ、悩みで食欲も落ちるとなれば、ようやく、すべり止めで結婚してもらった奥方が、何やかや言いかねんから、やはり、時間は無い。優柔不断のカシラでは、周囲も騒ぐから急がにゃーならん。兄弟分の閻魔など年間100万人は裁くし、コブぐらいで騒いではイカンのだ。 が、どうするか?
 とにかく、宴会の終わりかけに、カシラは「爺さん、明日も来て踊るのだぞ」と言う。「コブを置いておけ」とも言う。何?お前は「しめた」と言うか。・・・祈ろうが祈るまいが、思いなど分かるから注意せねばなるまい。

 ウヌ、このトボケ爺は嘘つきか。すると、与三爺と変わらんではないかとカシラは思う。いや、待て、善兵は自覚のある偽善者で、与三は自覚のない偽善者だ。と、すると、どちらが正しいか。どちらが美しいか?  これは、五十歩百歩の者のどちらかに、賞や罰をやるということである。人生とは、こういうモノであることを知れば、だれも自殺などしないことであろう。

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