奈落の底への伝言4/212012年04月21日 16:43

奈落の底への伝言68・・英語で仕事?

通詞(つうじ)とは、昔の通訳のことで、まあ公務員ある。

福沢諭吉は公務員の通詞ではなかったが、明治初期の外交文書を翻訳したり、逆に英訳をしたようである。使節団として西洋に行ったときは通弁(通訳~通詞)と反訳とに区別されていたが、福沢は後者であった。・・どうも日常会話ではなく、文書を扱ったようである。外務省の仕事を請け負った人である、と福沢は言っている。誰も、できる者がないので、職人(または下請け)として、外注を受けただけと。・・・・・福翁自伝-攘夷論

で、そこで要求された職人技は、日英の両方に納得させる翻訳力で日本を有利に導くであったと想像される。ここが、現在の翻訳家との差であろう。両国の文化や知識に優れ、論理の組み立てががっちりしている(論理的で誤解の余地がないこと)ことが必用であったのである。

そこで、たとえば、「古池や 蛙飛び込む 水の音」が何故素晴らしいのかを日本人でない人に分からせるような力が必用なのである。すると、このためには訳者が、その俳句に詳しい必用があって、さらにその心境に相当する外国文化を知っていなければ訳しようがない。外山滋比古によれば(氏でなくても同じらしいが)、日本語そのものでなく、日本に住む者には島国である事情により、もう「皆まで言うな」という文化状況で、思い切った省略が身についてしまったのだという。言語が、点々と飛んでいて繋がっていないというのだ。まあ、禅問答のように聞こえてしまうというのである。・・しかも、それが伝わっていなくても「ムム」とか返事をしておけば、相手が適当に解釈してくれて、なぜか伝わる。このようなものが日本語というわけである

バイリンガルに生まれれば良いとかでは無いのである そんなもので良ければ大学まで行っても身につかない英語を学ぶより、短期留学で幼稚園ぐらいの英語を身につければ早いのである。が、それで外交はできない。何代か前の某首相は米国の有名大学卒業であるから意思の疎通などには問題がなかった・・の反対になったりもするのが現実なのだ。通訳に福沢のような方を雇えればよかったというのは明白なのであるが、そのような日本人はいない・・逆に言えば、そのような能力のある方を世の中は求めているのだ。そう、成ろうよ。

まず、日本人が見ても、分からないような(あるいは誤解を生むような、俳句のような)文書では具合が悪い。通訳は、訳する前に、ここを指摘する力が必用だ・・ココのところは、○○の意味ですかと問い直してからしか訳はできないのだ。空気を読んで訳しろなんて、そんなものは外交とか機器とかの訳としてはダメなのである。

↓本文とは無関係の熊本県の旧牛深市街
gesu

奈落の底への伝言4/21の22012年04月21日 17:18

奈落の底への伝言69・・成すべき事

もし、英語科に入学したとすると、成すべき事は多い。

日本語の学習は古典までする。続いて福沢師匠のように漢学(儒教などだ)もするし、神社や皇室の知識もいるだろう。英語は、童話や聖書に神話、さらに文学は一部古典までとなろう。携帯もパソコンも、ある程度知ってなければ、とても翻訳などはできまい。

大変なのだ。そう、バイトどころでは無いのだ。

この点では自然科学なんていうのは数式が相手に通じるから、極端に言えば、そこまでの外国語力はいらない・・・が、しかし、文献の目次とかが分からないようでは、やはりダメなのだ。・・どこも大変でないとこは無いのである。全容が見えてないから遊んでいられるのであって、やはり将来は泣くことになるものなのだ。それが日本国の近未来だ。

東の空

東の空は明るいが・・本文とは関連もなく。



奈落の底への伝言4/21の32012年04月21日 20:28

奈落の底への伝言70・・玉虫色の訳は?

今日、NHKラジオで川柳の話があっていた。やはり、昔に作られたものは専門家が集まっても解読が十分にできないものが出るという。たいていの物事には、その成立当時の時代背景とかが重要であろうけれども、その背景も不確かであるから、当然、短文文学などは、あいまいさから逃れられない・・・つまり、この表現方法は論理的でないのである。   

ワビとか、サビとか、ものの哀れ(の中に、真の美や優しさがあるらしい)とかで、解読できなくても、まあ、だれも真剣な論議を必用とは考えず、それでも良いという文化なのである! ・・・相手を察して理解する超能力がある人が多いのであろう・・・しかし、

だいたい、「古池や 蛙飛び込む 水の音」のどの部分がソレであって、悲しいげトカ、哀れとか、過去への思いが書いているのであろうか・・・人それぞれが、これまた、それぞれに感じて、その感覚は同一ではないが、一同は感動をする。ソコは一様なのだ。しかし、玉虫色だ。英訳するとなると、玉虫色に伝わるが、感動する点では同じだとするしかあるまい。何か設計図でも伝える文書とすれば、その文書は(あるいは言語は)役目を果たしていないのである。

・・若者言葉はもちろんとして、多くの日常語が残念ながら論理的でないわけだ。かといって、契約書とか法律などの文章は、まあ、くどいことくどいことで、あれはあれで、もっと洗練(表現の)させる必用があるわけだが、骨が折れる。というわけで、これができる人には道が開けようねえ。

東名

↑横浜つれづれからの画像(新東名高速道路)

http://blogs.yahoo.co.jp/nfmwc006/archive/2012/4/17