奈落の底への伝言4/132012年04月13日 13:56

奈落の底への伝言67・・日本語はあいまい?

外山滋比古(しげひこ)という方の詳しいことは知らないが、十数年前に、その方の著述を注文したら絶版。しかし、ネット・ショピンングで検索するとあった。”日本語の論理”という本である。

「古池や 蛙飛び込む 水の音」という有名らしい俳句の考察があった。「飛び込む」とは現在形なのか、進行形なのか、現在完了形なのか・・が西洋人なら分かりにくいというのである。また「古池」に冠詞がついてなくては落ち着かないし、「蛙」は単数か複数か、まさか、アマガエル種ではないだろうし、性別の問題もあろうか・・。

古池とは、多分、古い池であろうが、もしかしたら用水池で田植え時などには人々が来るような池かもしれない。あるいは、荒城の月の舞台のような昔には栄えたのに、今では忘れ去られようとしている池もある。まだ、他の場合もあろうが、ここでは2番目を採用しよう。日本人としてはそれが良いように思う。が、その池は、マイナーなものに決まっていようし、華やかでもないであろう。若い蛙はそうする必用もなかったのであるが、おもむろに飛び込んだ。そのしぶきも立たないような水音が響くほどに周囲は静けさが広がっていた。そのことに気づく作者であった。・・ところで、インターネットを見てみたら、何とも、にぎやかで驚くばかり。

よし、修正は難しいとして、書き下そう。

人里を離れた森を歩くと足が止まる。住民であるヒキガエル君の飛び込む音によって、池と知り合いになり、その後の静けさは、だれをも、もの思いにするか。

チョット待った。ソレは人それぞれの解釈で良いとして感動の共通点は、静けさか?・・・う、よう分からん

物事は時代背景によって理解しなければならない・・は真実であろうが、逆に言えば、そのような記述は状況が変化したら、さっぱり伝わらない。だが、島国日本では伝わったと解釈する。外山さんは、そう述べる。我々が使っている日本語は、この例のように、やや完璧でない疑いがあるらしいのだ。ははぁー、どうりで親子でも通じないのだぁ。で、もって記録しても後で見てみると、何か違ったりもするのであるか。

外山