奈落の底への伝言4/25 ― 2012年04月25日 12:00
奈落の底への伝言71・・自己嫌悪って
もう90年ばかり前のようにも感じることであるが、宮沢賢治の“よだかの星”を昼の校内放送で聞いた。放送劇だったと思う。普段、きらいなMさんが立派な音声でけっこう感動した。
どの部分が良かったかといえば、カブトムシを食べざるを得ないという所だった。一番いやなことを自分もしていることを主役が発見する場面である。・・時は流れて、多分に70年ばかり前のように感じるのであるが、職場の同僚が言った。「イヤよねえ。あの人々。」すると、近くにいた別の同僚が小声で言った。『そのイヤなのの中にあなたも入っているでしょう』と。・・さらに時は流れて、昨日だったとうかと思うが、魯迅(ろじん)の狂人日記をながめると、〈周囲全体が人間では無いと見える主役は、自分も、その仲間であることを自覚し、そうして言う。この世界では、本当の人間とは、めったに会えることが無い。・・むろん、自信も含まれていよう。〉とあった。偶然なのか、宮沢も魯迅も似た世代に生きていて、何となく懐疑の念も湧く。・・はやっていた(流行)のではと。うーん、しかし、たとえ、それが流行でも、真実であろうと思うしかない。そういう場面の中を幾年も過ごしてきたのであるから。
魯迅は、当時の母国の状況改善を文芸で達成しようとしていた。しかし、おそらくであるが、それが成った(つまり意図が成功した時・・中国の近代化だが)として、次に来るものは予測していたであろう。軍国主義とか、そんなものではなく、より人間の本性である。どのような美しい夢(思想)も、それが人の手にかかれば、たちまちにして色あせるしないことである。そうして、彼らはどのように結語したであろう?・・その後にこそ、新しい夢があると希望を繋げたであろうか?

奈落の底への伝言4/25の2 ― 2012年04月25日 15:55
奈落の底への伝言72・・杉田玄白の心
さて、前回(71)の文章には、ちょっとしたウソが含まれている。同僚は小声で言ったのではなく、後で普通の声で言ったのである。・・だが、自分には、即座に反対意見を言いたかった人に配慮をしたのである。この方が、当時の自分の感覚に近いということである。
このような現象は、多分に誰にでも起こりえることであろう。たとえば、杉田玄白にも起こったことであろう。杉田はオランダ語で書かれていた医学書を翻訳したり蘭学事始を書いた人である。
蘭学事始は明らかに福翁自伝と似ている。蘭学の開祖が杉田であれば、英語の開祖は福沢(のグループ)であるとも言いたかったであろうと思う。両書物共に事が成就し、晩年の作である。明治2年出版の蘭学事始の下地になったと思われる福沢の朱筆が入った蘭学事始(写本)が慶応大学にあるという。
話が逸れた。話は、批判すべき人々が満ちていて、しかも批判をしている自身をも、驚くべきことに、その恥ずべき批判される側であるということであった。魯迅の場合は、当時の国家に属する聖人君子の思想(まあ、儒教がゆがめられたかのようなものであるが、孔子が偉人であっても人の手に移されると(現実化すればの意)、こうなるのであるが)が批判対象であったし、福沢も、論語読みの論語知らずの身分制度上の為政者が対象であった。従って、両者ともに儒教(この場合は儒教を含む伝統一式だが)嫌いという形となった。
杉田は回想する。春の一日が終わろうとしても1行も翻訳できない日々ばかりであった。ある日、鼻の箇所に書いてあるフルへッヘンドという語があって、こらが分からないで悩んだ。辞書はなかったが前野良沢(10歳上の)が長崎より求めてきていた小冊子があり、そこに次のような記述があることを見いだした。という。
木の枝を切ればフルへッヘンドとなる。ゴミを集めればフルへッヘンドするとあったので、集まっていた翻訳仲間(良沢、淳庵など)とこじつけ合いの協議が続いた。そうして、自分は、うずたかくなる(積もって)を提案したら、はなはだもっともなことだとなって決定した。その時の嬉しさは何にもたとえることはできなほどであった。連城の璧(完璧の語源の)を入手した心地であった。・・・発見とはこのような心境か。ぜひ体験したいものであるのであるが。・・・このように推論で訳していくが、どうにも考えられないものも多かった。そうして、苦し紛れではあるが、後に分かることとし、○に十の印を付けて訳とした。するとテキストは印ばかりになったが、自己研鑽を尽くし、苦しみながらの1ヶ月に67会合を貫徹した結果、1年ぐらい後には1日に10行も翻訳できるほどに達した。
上の一文は、杉田のオランダ語習得の秘訣とともに、益々に意欲的になっていく心境が語られるのであるが、残念ながら我々現代人には読み取ることが難しいことを知っておくべきであろう。おそらく、福沢あたりだと感涙した箇所に属しよう。ところで、緒方富雄(蘭学事始の校註者にして、血清学者)によれば、これをそのまま事実とすると問題があるという。
この件は次号として、杉田は次のようにも言っている。
諸君(淳庵、桂川甫周など)が蘭学大成の日(解体新書の出版ができたら)には、翁(杉田の言)は、草葉の蔭であろうが諸君と共にある。桂川は大いに笑い、以後、“草葉の蔭”氏と呼んだものだ。・・何を主題にしているのか分からなくなったが、杉田は次世代に託すとしたのである。この部分に限れば魯迅と同じであった。
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