奈落の底への伝言3/31の22012年03月31日 23:49

奈落の底への伝言54・・人生の樂事 福澤諭吉 

人には何か樂しみでもなければ生きられるものはない。旅行、書籍、骨董、芸術やらに、芭蕉のように1か月間ぐらい門を閉じて人には会わず執筆に凝るなんていうのもある。また、お金を貯め込んだり、有名になったり、立身出世というのものの他に多種多様なものがあろう。どなたも、この人生に、そういった楽しみとか志しとかを持つべきであろう。そうして会合でもあったら、それを論じ合うのも楽しみなことだ。

 今晩は、私が洋学を知った時から今に至るまで、一日も忘れたことがなく、今に至るまで楽しみごとが成就し損なったことを語ろうと思う。私は、家の伝統として本来は儒学者であったが、二十の頃に洋学をしようと決めた。物理学である。その時のよろこびは、はなはだ、たいそうなもので、どこかの分野の専門家に成るぐらいの熱意がこみ上げたのであるが、幕末の事情やら、また、家に資金力がなく、その日・その日の衣食住にわずらわされて、物理に専念することができなかった。そればかりか、明治になったばかりの世の中の激動期であって、それを黙認して閉じこもるような学問もならず(世の求めに応じて)、色々の著述などして時を費したことが多かった。それでも、物理学への思いは、恋に落ちたもののごとく、非常に胸を患わせ、頭から去ることはなかった。生活を支える毎日の中にも物理学の一端に思いを巡らせば、何とも楽しかった。一人、夢想することといえば、万物の仕組の神秘で、それは特に我が国の人間から見れば祕密めいているが、創造神は必ずしも、これを秘密にしている訳ではない。なぜなら、旺盛なる人(自分のように)が探究しているからである。

宮



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