梅林公園に行こう ― 2015年02月02日 23:39
梅林公園に行こう
谷尾崎梅林公園 梅まつり
そうだ。小梅さんのように、分かる人には分かるのだ。人は外見ではないという忠言に逆らわなかった!そうして、このような体験を積み重ね、強固な意志を持った与三少年へと成長させていった。人を作るのは環境である。少々のことに泣き言を言うような奴は屑なのだ。すべては前向きが基本だ。相撲と同じだ。確信なのだ。核心的利益だろか。
与三も、ブロガーもであるが、 中学2年生をしていたことがあった!で、何しろ髪多すぎでトニックが欲しかったが、だか、計略にあっていることに気づかず、それが欲しいことにも気づかなかった。丸坊主だったのだ。だが、あの頃が一番であったと思う。髪が公平だったし。
そんな、公平な世界であったが、だが、小梅さんは輝いていた。輪郭が濃かった。だから、集団の中にあっても周囲をぼかすのであった。接写でもされた映像のようだったのだ。皆さんにも、経験があろう。公平だけではイカンもある。
しかし、これは片思いの予感がする。
現代は、どのマーケットに行っても老人ばっかだからというわけではないが、中2ぐらいは夢と希望である。ただ、1年もすれば、受験とかで打ちのめされるが。私が思うには、あの受験とか、体育大会とか、容姿が見苦しく無ければ、たった、これだけで人生は明るかったように思う。から、まあ、与三爺さんの場合、その内の、たった一つの該当しただけだ。その容姿信仰だって、小梅さんが、ああ言うのであるから、崩れた。まあ、無いか、見えないほどなのである。
毎日の学校が楽しい。いじめに遭おうが、英語で沈もうが、作文で笑われようが、小梅さんが認めんモノは無いのだ。無いどころか、そういうモノは我々の恋のための背景である。虚な世界である。あるのは私と小梅さんである。外の者はピンぼけ映像であって、まあ、ノイズ除去とかクリックすれば消えるのだ。そういう世界を手つなぎで二人が歩く。世界が創造されたのは、そういう訳だったのだろう。確信であった。
おや、小梅さんが集団でしゃべっている。女子の集団は何とも華やかだ。キャッ、キャとか騒いでいて、妖精の世界が広がっているが、まさかスマホの話では無かろうねえ。ああゆうものを盗み聞きとかはしないのだ。
「小梅、あのコブ男のどこがいいのよ」
と聞こえ、小梅が赤くなっている。私は吹き出す・・コブ? ソレ、存在しないからね。君たちは、どこを見ているのよ。小梅よ、言うてヤレ。 小梅は怒り気味に言う。「外見で言うなって」と。おお、よくぞ言った。やはり、今日の感動のために世界はあったのだ。
そうして、妖精の群れは「そうよ。そうよ」とか言って、げらげら笑って走り去ったことである。小梅も、口をアの字やイの字にして反り返っていた。与三は走る。笑いすぎは体に毒だと言いながら、久しぶりに見た鏡が悲しかった。
周囲、それも少女あたりから軽く笑われることを苦という。
谷尾崎梅林公園 梅まつり
そうだ。小梅さんのように、分かる人には分かるのだ。人は外見ではないという忠言に逆らわなかった!そうして、このような体験を積み重ね、強固な意志を持った与三少年へと成長させていった。人を作るのは環境である。少々のことに泣き言を言うような奴は屑なのだ。すべては前向きが基本だ。相撲と同じだ。確信なのだ。核心的利益だろか。
与三も、ブロガーもであるが、 中学2年生をしていたことがあった!で、何しろ髪多すぎでトニックが欲しかったが、だか、計略にあっていることに気づかず、それが欲しいことにも気づかなかった。丸坊主だったのだ。だが、あの頃が一番であったと思う。髪が公平だったし。
そんな、公平な世界であったが、だが、小梅さんは輝いていた。輪郭が濃かった。だから、集団の中にあっても周囲をぼかすのであった。接写でもされた映像のようだったのだ。皆さんにも、経験があろう。公平だけではイカンもある。
しかし、これは片思いの予感がする。
現代は、どのマーケットに行っても老人ばっかだからというわけではないが、中2ぐらいは夢と希望である。ただ、1年もすれば、受験とかで打ちのめされるが。私が思うには、あの受験とか、体育大会とか、容姿が見苦しく無ければ、たった、これだけで人生は明るかったように思う。から、まあ、与三爺さんの場合、その内の、たった一つの該当しただけだ。その容姿信仰だって、小梅さんが、ああ言うのであるから、崩れた。まあ、無いか、見えないほどなのである。
毎日の学校が楽しい。いじめに遭おうが、英語で沈もうが、作文で笑われようが、小梅さんが認めんモノは無いのだ。無いどころか、そういうモノは我々の恋のための背景である。虚な世界である。あるのは私と小梅さんである。外の者はピンぼけ映像であって、まあ、ノイズ除去とかクリックすれば消えるのだ。そういう世界を手つなぎで二人が歩く。世界が創造されたのは、そういう訳だったのだろう。確信であった。
おや、小梅さんが集団でしゃべっている。女子の集団は何とも華やかだ。キャッ、キャとか騒いでいて、妖精の世界が広がっているが、まさかスマホの話では無かろうねえ。ああゆうものを盗み聞きとかはしないのだ。
「小梅、あのコブ男のどこがいいのよ」
と聞こえ、小梅が赤くなっている。私は吹き出す・・コブ? ソレ、存在しないからね。君たちは、どこを見ているのよ。小梅よ、言うてヤレ。 小梅は怒り気味に言う。「外見で言うなって」と。おお、よくぞ言った。やはり、今日の感動のために世界はあったのだ。
そうして、妖精の群れは「そうよ。そうよ」とか言って、げらげら笑って走り去ったことである。小梅も、口をアの字やイの字にして反り返っていた。与三は走る。笑いすぎは体に毒だと言いながら、久しぶりに見た鏡が悲しかった。
周囲、それも少女あたりから軽く笑われることを苦という。
梅林公園に行こう ― 2015年02月05日 00:59
梅林公園に行こう
谷尾崎梅林公園 梅まつり
何ということだ!小梅は偽善者であったのだ。
与三爺さんは、それでもメメしく、小梅を忘れられなかった・・男は皆ソウ。は、置いておいて、偽善はイカンと思った。確かに思った。
ここ、人間の分岐点だった。しかし、偽善は良くないと思っているなら、善兵爺さんのキャラクターと同じなるから、これ、設定の誤りか。
名のある小説家も、このようなことに遭遇して困るらしい。ああっと、確か、後で困らんように、あのページあたりにアンな事を書いていたハズだったが、どこだったかな?って成って、その場所探しに明け暮れる。
これはパソコンでも同じで、アチコチにコピーとか作っておいたのに、欲しいところだけがスポッと行方不明。よくあることだ。こういう時は、まずは、ああーとか声を出す。大きな事務所だと、そう言う声が時々起きる。削除や初期化してもた・・話を戻さんと、どんどん乖離するね。
与三は分岐点にいた。分岐はデジタルだと2種類しか道がないが、人生だと何でもあるように思う・・・それもデジタルで表せるとか言うモンもおるが、無視しておこう。で、どこに行ったか?
与三は、自分自身の正体を自覚できない偽善者だったのだ。・・そう来たか。
こういう人のこそをいうのに、ちょいと昔のことを言う。
教えてください。知って行うことと、知らずに行うことは、どちらが罪深いでしょうか。シッダールタが答える。それは、知らずに行うことだと。
この答えは単なる一重の意味ではない。このお方は、ダブルスタンダードでもあって、ああも言う、こうも言う人なのだ。何だ、それ、ブレではないか?いやいや、世の中の仕組みをいえば、そういう表現でしか記述できないのだ。写実するとそうなる。何とでも言えるのだ。ということは、「それは知って行うのが罪深い」と答えても、まあ、何とでも言い逃れられるのだ。
とにかくだ、与三は知らずに行っているから罪が深い。交通事故でいえば、相手が見えていないので大怪我をさせる。見えていれば、まあ、チョットは手加減したのだ。
くりかえそう。与三は、自身が偽善であることが自覚できない偽善者だった。うーむ、悲劇である。が、人ごとではない。我々はボケとるが、自分自身は正気と確信しておるのだからだ。そういう人とかがブログを書く。危ない、信じすぎると毒。
与三は、やられた。小梅にやられたのだ。偽善者めぇと声に出たほどだった。だが、自分にこそ偽善があったが、全く、自覚ができない。目に映るものが真実としていたというから、与三の場合、最も、やっつけたいヤツが、何と、身の内にいるのである。から、ソレ、双眼鏡でもスバル望遠鏡でも見えん。よって、そういう偽善のようなもの無いと判断するしかない。お友達も、まあ、言わんわね。世の中、賢い人ばっか。沈黙は金だ。
フムフム、で、君は何で話を進めんの? あ、これは聞き捨てならない。だって、この話、みんな知っているでしょう?何、急ぐの?
谷尾崎梅林公園 梅まつり
何ということだ!小梅は偽善者であったのだ。
与三爺さんは、それでもメメしく、小梅を忘れられなかった・・男は皆ソウ。は、置いておいて、偽善はイカンと思った。確かに思った。
ここ、人間の分岐点だった。しかし、偽善は良くないと思っているなら、善兵爺さんのキャラクターと同じなるから、これ、設定の誤りか。
名のある小説家も、このようなことに遭遇して困るらしい。ああっと、確か、後で困らんように、あのページあたりにアンな事を書いていたハズだったが、どこだったかな?って成って、その場所探しに明け暮れる。
これはパソコンでも同じで、アチコチにコピーとか作っておいたのに、欲しいところだけがスポッと行方不明。よくあることだ。こういう時は、まずは、ああーとか声を出す。大きな事務所だと、そう言う声が時々起きる。削除や初期化してもた・・話を戻さんと、どんどん乖離するね。
与三は分岐点にいた。分岐はデジタルだと2種類しか道がないが、人生だと何でもあるように思う・・・それもデジタルで表せるとか言うモンもおるが、無視しておこう。で、どこに行ったか?
与三は、自分自身の正体を自覚できない偽善者だったのだ。・・そう来たか。
こういう人のこそをいうのに、ちょいと昔のことを言う。
教えてください。知って行うことと、知らずに行うことは、どちらが罪深いでしょうか。シッダールタが答える。それは、知らずに行うことだと。
この答えは単なる一重の意味ではない。このお方は、ダブルスタンダードでもあって、ああも言う、こうも言う人なのだ。何だ、それ、ブレではないか?いやいや、世の中の仕組みをいえば、そういう表現でしか記述できないのだ。写実するとそうなる。何とでも言えるのだ。ということは、「それは知って行うのが罪深い」と答えても、まあ、何とでも言い逃れられるのだ。
とにかくだ、与三は知らずに行っているから罪が深い。交通事故でいえば、相手が見えていないので大怪我をさせる。見えていれば、まあ、チョットは手加減したのだ。
くりかえそう。与三は、自身が偽善であることが自覚できない偽善者だった。うーむ、悲劇である。が、人ごとではない。我々はボケとるが、自分自身は正気と確信しておるのだからだ。そういう人とかがブログを書く。危ない、信じすぎると毒。
与三は、やられた。小梅にやられたのだ。偽善者めぇと声に出たほどだった。だが、自分にこそ偽善があったが、全く、自覚ができない。目に映るものが真実としていたというから、与三の場合、最も、やっつけたいヤツが、何と、身の内にいるのである。から、ソレ、双眼鏡でもスバル望遠鏡でも見えん。よって、そういう偽善のようなもの無いと判断するしかない。お友達も、まあ、言わんわね。世の中、賢い人ばっか。沈黙は金だ。
フムフム、で、君は何で話を進めんの? あ、これは聞き捨てならない。だって、この話、みんな知っているでしょう?何、急ぐの?
梅林公園に行こう ― 2015年02月06日 00:53
梅林公園に行こう
谷尾崎梅林公園 梅まつり
物事には、何でも背景がある。突然と開く別世界の話であるが、父が、フーとため息をつく。これは運命だと自分に言い聞かせるしぐさである。金峰山の登り口近くの盆地でのことでのことで、正確には、もう少し上の世界のことだが。ため息は、息子のことである。そうして、その息子は、あの嘆きを裏切らない成長をしたというから、我々は、あまり悲観などしないが良いように思う。
何を嘆いたかと言えば、息子の生まれつきの思考力の弱さだっと。あれでは、後をまかせられまい。反面、親でもあったから、憐れにも思った。だが、母親は神社だの何だのにお参りをとかを言い、また、どこからか奇蹟を行うという行者も連れて来た。行者は、あなたの家の神棚は、どっちを向いていますかな、と言う。
神棚は台所の隅にあって、東向きですと答えるが、突拍子もないことで父親は鼻先で笑っっていた。が、なぜ結婚したか分からん母親は、このようなことを非常に気にするタイプで、西向きですと答え直した。行者はポンと手を打って、それではと、現代換算の1万円だったように思う。主語と述語が合わないなど日本クオリティだ。
さて、どっちを向くかというのは妙なことである。神さんは太陽神だから東から出る。初日など東を向いて拝む。神武天皇も、太陽の方向に攻撃するのが良くないと言って迂回したわけで、西向きで問題などは無いのだ。が、尾崎の神社など、北を向いて拝むように配置してあって、神さん自体は南向きとなる。
だが、このあたり、混乱があるように思う。墓石を見てみると、共同墓地でないものには統一など一切ない。そんなものでは、運命が決まらんのである。
というわけで、やはり息子の改善には、一向に効果を上げなかったことだが、コレが、カシラ鬼の幼少期であった。で、ここから一気に成人したわけではないものの、カシラは、やや、憐れな過去を持っていたといえよう。このように、それぞれの背景を持った3者が、梅林公園の南東池の底を舞台として繰り広げられたのが、谷尾崎のコブ取り爺さんである。
主役はコブでもあったから、そうすると主導権はカシラにあることになろう。運命は、2人の爺さん方の努力など関係無かったのだ・・。 ここで、また、思いつくことがある。関係ない話すな・・と思われようが、私も、なるべく語数をケッちっているのは文面でも分かろう。んで、ちょっと思いついたことを言う。昔々、紙芝居屋さんが来た。これで、またもや思いつくことがあるが、これは必死で耐える・・何が何か分からなくなるのだから、必死で耐えてぇ、、
その紙芝居屋さんは、梅林公園の300m前ぐらいで興業をした。まあ、1ダースぐらいの子ども達が見た。5円か10円の菓子を買って見る。その菓子の中に、麦わらの中にピンク色の砂糖を流し込んだものがあった。この菓子はなかなかの優れものである。麦わらを少しずつ剥いでいくと砂糖の柱がムキダシになる。むろん食べられるし、長くできた者には別のお菓子もくれた。いい日々だった。
で、それを自慢したわけではないが友人に言ったら「それは無い」と言う!何だよう、古い楽しげな思い出に、難癖って性格悪いよぉ。
「あれね、そんなことしていては儲からんので、オジサンは売る前に、大半の麦わらをたたいているよ」
え?すると、昔々の何年もの間の麦わら剥きの修行は意味が無かったと!!
の様に、運命は爺さん方の手に無かったのである。コブが、ドーなるかは、カシラ鬼の手の内にあったのだ。
谷尾崎梅林公園 梅まつり
物事には、何でも背景がある。突然と開く別世界の話であるが、父が、フーとため息をつく。これは運命だと自分に言い聞かせるしぐさである。金峰山の登り口近くの盆地でのことでのことで、正確には、もう少し上の世界のことだが。ため息は、息子のことである。そうして、その息子は、あの嘆きを裏切らない成長をしたというから、我々は、あまり悲観などしないが良いように思う。
何を嘆いたかと言えば、息子の生まれつきの思考力の弱さだっと。あれでは、後をまかせられまい。反面、親でもあったから、憐れにも思った。だが、母親は神社だの何だのにお参りをとかを言い、また、どこからか奇蹟を行うという行者も連れて来た。行者は、あなたの家の神棚は、どっちを向いていますかな、と言う。
神棚は台所の隅にあって、東向きですと答えるが、突拍子もないことで父親は鼻先で笑っっていた。が、なぜ結婚したか分からん母親は、このようなことを非常に気にするタイプで、西向きですと答え直した。行者はポンと手を打って、それではと、現代換算の1万円だったように思う。主語と述語が合わないなど日本クオリティだ。
さて、どっちを向くかというのは妙なことである。神さんは太陽神だから東から出る。初日など東を向いて拝む。神武天皇も、太陽の方向に攻撃するのが良くないと言って迂回したわけで、西向きで問題などは無いのだ。が、尾崎の神社など、北を向いて拝むように配置してあって、神さん自体は南向きとなる。
だが、このあたり、混乱があるように思う。墓石を見てみると、共同墓地でないものには統一など一切ない。そんなものでは、運命が決まらんのである。
というわけで、やはり息子の改善には、一向に効果を上げなかったことだが、コレが、カシラ鬼の幼少期であった。で、ここから一気に成人したわけではないものの、カシラは、やや、憐れな過去を持っていたといえよう。このように、それぞれの背景を持った3者が、梅林公園の南東池の底を舞台として繰り広げられたのが、谷尾崎のコブ取り爺さんである。
主役はコブでもあったから、そうすると主導権はカシラにあることになろう。運命は、2人の爺さん方の努力など関係無かったのだ・・。 ここで、また、思いつくことがある。関係ない話すな・・と思われようが、私も、なるべく語数をケッちっているのは文面でも分かろう。んで、ちょっと思いついたことを言う。昔々、紙芝居屋さんが来た。これで、またもや思いつくことがあるが、これは必死で耐える・・何が何か分からなくなるのだから、必死で耐えてぇ、、
その紙芝居屋さんは、梅林公園の300m前ぐらいで興業をした。まあ、1ダースぐらいの子ども達が見た。5円か10円の菓子を買って見る。その菓子の中に、麦わらの中にピンク色の砂糖を流し込んだものがあった。この菓子はなかなかの優れものである。麦わらを少しずつ剥いでいくと砂糖の柱がムキダシになる。むろん食べられるし、長くできた者には別のお菓子もくれた。いい日々だった。
で、それを自慢したわけではないが友人に言ったら「それは無い」と言う!何だよう、古い楽しげな思い出に、難癖って性格悪いよぉ。
「あれね、そんなことしていては儲からんので、オジサンは売る前に、大半の麦わらをたたいているよ」
え?すると、昔々の何年もの間の麦わら剥きの修行は意味が無かったと!!
の様に、運命は爺さん方の手に無かったのである。コブが、ドーなるかは、カシラ鬼の手の内にあったのだ。
梅林公園に行こう ― 2015年02月08日 00:24
梅林公園に行こう
谷尾崎梅林公園 梅まつり
さて、鬼神のような働きという表現があるが、これは、神のような働きではイケナイのであろうか。そう、イケナイのである。神のような働きとなると、それは、どうも創造とか、美とか、女性の響きがするのである。それで、罰は地獄の鬼あたりが下請けをしているように思う。それはずるかろう。韓非子も、それでは失敗すると言っているから、そうであろう。
この点で谷尾崎日吉神社のご神体は、荒魂(あらたま)だ。この方は破壊神の面が大きい。チマチマと、作り直すなんて能率が良くない。一旦、破壊し尽くしてから作るのが早いのだ。というわけで、鬼神の働きとが圧倒的な働きという意味となる。一発改善というようなものは、鬼でなければならないのである。そういう鬼に、キジや猿が勝ったというのはウソに決まっていよう。
前置きが長くなったが、カシラ鬼は二人の爺さんの運命を握っていたのであった。だいたい、外科手術となれば糸が取れるまで10日かかるが、鬼さんの手にかかると1秒以下ということから、まあ、並の人間の10×24×60×60倍の力量である。計算すると90万倍となるから、オリンピック工事など1日であろう。威力、お分かりかな。
すでに善兵爺さんは、鬼どもに囲まれているのであるが、時間を止めていた。というか、天界の1日は、下界の1年というから、天人の動きは高速で見えないだけなのである。さて、コブを取ったとして、その後をどうするか。
カシラ鬼は、考える。その時間はあるのである。
正直者に返すか、偽善者に渡すかの二者択一である。これをサイコロで言えば、奇数か偶数か、となる。コンピュータでやれば一秒で10万回も振れよう。たやすい、たやすすぎる・・・人の運命は、その程度で良いか。
では、5回ずつ振って合計が多い方を勝ちとすれば、とかしても、似たようなものか。では、下駄を飛ばせばどうか? などを思いつく。いや、シュミレーション(模擬実験)が良かろう。善兵にコブを返して今まで通りが良いか、与三爺さんに2つのコブがつくかの二者択一だ。前者だと今まで通りで、何事も無しか。後者だと、鬼の威力が再認識されようから、まあ、我々としては得だ。しかし、ソレでは露骨な利益追求主義であろう。もっと、水が上から下に落ちるように自然の法則で成されるべきなのだ。
うーむ、悩みで食欲も落ちるとなれば、ようやく、すべり止めで結婚してもらった奥方が、何やかや言いかねんから、やはり、時間は無い。優柔不断のカシラでは、周囲も騒ぐから急がにゃーならん。兄弟分の閻魔など年間100万人は裁くし、コブぐらいで騒いではイカンのだ。 が、どうするか?
とにかく、宴会の終わりかけに、カシラは「爺さん、明日も来て踊るのだぞ」と言う。「コブを置いておけ」とも言う。何?お前は「しめた」と言うか。・・・祈ろうが祈るまいが、思いなど分かるから注意せねばなるまい。
ウヌ、このトボケ爺は嘘つきか。すると、与三爺と変わらんではないかとカシラは思う。いや、待て、善兵は自覚のある偽善者で、与三は自覚のない偽善者だ。と、すると、どちらが正しいか。どちらが美しいか? これは、五十歩百歩の者のどちらかに、賞や罰をやるということである。人生とは、こういうモノであることを知れば、だれも自殺などしないことであろう。
谷尾崎梅林公園 梅まつり
さて、鬼神のような働きという表現があるが、これは、神のような働きではイケナイのであろうか。そう、イケナイのである。神のような働きとなると、それは、どうも創造とか、美とか、女性の響きがするのである。それで、罰は地獄の鬼あたりが下請けをしているように思う。それはずるかろう。韓非子も、それでは失敗すると言っているから、そうであろう。
この点で谷尾崎日吉神社のご神体は、荒魂(あらたま)だ。この方は破壊神の面が大きい。チマチマと、作り直すなんて能率が良くない。一旦、破壊し尽くしてから作るのが早いのだ。というわけで、鬼神の働きとが圧倒的な働きという意味となる。一発改善というようなものは、鬼でなければならないのである。そういう鬼に、キジや猿が勝ったというのはウソに決まっていよう。
前置きが長くなったが、カシラ鬼は二人の爺さんの運命を握っていたのであった。だいたい、外科手術となれば糸が取れるまで10日かかるが、鬼さんの手にかかると1秒以下ということから、まあ、並の人間の10×24×60×60倍の力量である。計算すると90万倍となるから、オリンピック工事など1日であろう。威力、お分かりかな。
すでに善兵爺さんは、鬼どもに囲まれているのであるが、時間を止めていた。というか、天界の1日は、下界の1年というから、天人の動きは高速で見えないだけなのである。さて、コブを取ったとして、その後をどうするか。
カシラ鬼は、考える。その時間はあるのである。
正直者に返すか、偽善者に渡すかの二者択一である。これをサイコロで言えば、奇数か偶数か、となる。コンピュータでやれば一秒で10万回も振れよう。たやすい、たやすすぎる・・・人の運命は、その程度で良いか。
では、5回ずつ振って合計が多い方を勝ちとすれば、とかしても、似たようなものか。では、下駄を飛ばせばどうか? などを思いつく。いや、シュミレーション(模擬実験)が良かろう。善兵にコブを返して今まで通りが良いか、与三爺さんに2つのコブがつくかの二者択一だ。前者だと今まで通りで、何事も無しか。後者だと、鬼の威力が再認識されようから、まあ、我々としては得だ。しかし、ソレでは露骨な利益追求主義であろう。もっと、水が上から下に落ちるように自然の法則で成されるべきなのだ。
うーむ、悩みで食欲も落ちるとなれば、ようやく、すべり止めで結婚してもらった奥方が、何やかや言いかねんから、やはり、時間は無い。優柔不断のカシラでは、周囲も騒ぐから急がにゃーならん。兄弟分の閻魔など年間100万人は裁くし、コブぐらいで騒いではイカンのだ。 が、どうするか?
とにかく、宴会の終わりかけに、カシラは「爺さん、明日も来て踊るのだぞ」と言う。「コブを置いておけ」とも言う。何?お前は「しめた」と言うか。・・・祈ろうが祈るまいが、思いなど分かるから注意せねばなるまい。
ウヌ、このトボケ爺は嘘つきか。すると、与三爺と変わらんではないかとカシラは思う。いや、待て、善兵は自覚のある偽善者で、与三は自覚のない偽善者だ。と、すると、どちらが正しいか。どちらが美しいか? これは、五十歩百歩の者のどちらかに、賞や罰をやるということである。人生とは、こういうモノであることを知れば、だれも自殺などしないことであろう。
梅林公園に行こう ― 2015年02月09日 00:19
梅林公園に行こう
谷尾崎梅林公園 梅まつり
カシラ鬼は悩む、とこからスタートすべきであろう。が、しかし、ちょっち言うこつがあっけん。
すなわち、 99円持っているAと、1円持っているBの平均は50円だ。だが、人は50円を持っていると言えば、それは、両方から違うと言われよう。平均も標準偏差も意味が薄いのである。
そこで二人の平均値の頻度(何回あるか)をグラフ化する(ヒストグラム)と、何と、、正規分布になる。これが中心極限定理といって、証明が終わっているので全宇宙で成立する。雨が上から下にしか降らないのと同じで、天の意志だ。
今、何を言っとるノダ。脈絡のないことを馬鹿。
でもね、読んでる皆さんは疑問を持つ疑いがあるのだよ。こんな馬鹿なブログ読むと頭が腐るとか思うモノがいるように思う。それ気にくわないので、チョイと理論を言ってみたのだ。
”そういうのは、たとえば、「645年 虫殺す大化の改新」みたいなモンだろ?” 違うよ。”何が違う?” ウ・・大勢で言われて、言う気無くした。もう、それでイイよ。とかではイカンなあ。
では、物書きとはスケベエで無ければ務まらんではどうか?
”あ、良い良い。分かった、分かった。で、次、行け。”
ううむ。小さく理解された・・こういう気持ちが今のカシラの気分であった。いや、それは、別に二人の爺さんが、ドウとかしたという理由以外の理由もあってのことであった。オイラがする判断を小さく理解しおってコノぉ。どうしてくれようか。
だが、五十歩百歩の者に、賞と罰をやるという二者択一は変わらない。どちらにも罰を出すべきのように思うのだが、しかし、罰は1つしか無いのである。こういうのを排反事象とか言う。
”またか?”あんねえ、+だけの電池とか、N極だけの磁石とかできないのよ。”ほう、ほう?”
うーむ。あんまり、まじめに論ずると損だ。
”聞いとる方も、同じことを考えとるケン、あんたにゃー言われたくないケンね。”
あ-、もう、これ、どうしたモンかね。
谷尾崎梅林公園 梅まつり
カシラ鬼は悩む、とこからスタートすべきであろう。が、しかし、ちょっち言うこつがあっけん。
すなわち、 99円持っているAと、1円持っているBの平均は50円だ。だが、人は50円を持っていると言えば、それは、両方から違うと言われよう。平均も標準偏差も意味が薄いのである。
そこで二人の平均値の頻度(何回あるか)をグラフ化する(ヒストグラム)と、何と、、正規分布になる。これが中心極限定理といって、証明が終わっているので全宇宙で成立する。雨が上から下にしか降らないのと同じで、天の意志だ。
今、何を言っとるノダ。脈絡のないことを馬鹿。
でもね、読んでる皆さんは疑問を持つ疑いがあるのだよ。こんな馬鹿なブログ読むと頭が腐るとか思うモノがいるように思う。それ気にくわないので、チョイと理論を言ってみたのだ。
”そういうのは、たとえば、「645年 虫殺す大化の改新」みたいなモンだろ?” 違うよ。”何が違う?” ウ・・大勢で言われて、言う気無くした。もう、それでイイよ。とかではイカンなあ。
では、物書きとはスケベエで無ければ務まらんではどうか?
”あ、良い良い。分かった、分かった。で、次、行け。”
ううむ。小さく理解された・・こういう気持ちが今のカシラの気分であった。いや、それは、別に二人の爺さんが、ドウとかしたという理由以外の理由もあってのことであった。オイラがする判断を小さく理解しおってコノぉ。どうしてくれようか。
だが、五十歩百歩の者に、賞と罰をやるという二者択一は変わらない。どちらにも罰を出すべきのように思うのだが、しかし、罰は1つしか無いのである。こういうのを排反事象とか言う。
”またか?”あんねえ、+だけの電池とか、N極だけの磁石とかできないのよ。”ほう、ほう?”
うーむ。あんまり、まじめに論ずると損だ。
”聞いとる方も、同じことを考えとるケン、あんたにゃー言われたくないケンね。”
あ-、もう、これ、どうしたモンかね。
最近のコメント