奈落の底への伝言 ― 2012年03月17日 10:58
奈落の底への伝言46・・・中ぐらい
何事も極端はいけないとは、うちの伯父さんの言葉だ。すると中ぐらいが良いのか?
お隣の中国の中の字は、中心の中でこれはトップという意味だ。中庸という言葉も、偏らないという意味でトップに近い。・・そうかあ、あんまり学問だけではイケナイのだあ・・なんて言うなよ。学問に偏りすぎの人を見分ける目もないような人は。
はっきり言うなら、一度ぐらい学問中毒になって欲しいね。
ガリレオあたりは、親も友達も止めたようだぞ。体をこわすからってね。たしか、アンデルセンあたりも、空腹なのに詩集の誘惑に負けて、そちらを選んだようだぞ・・それ、滅びの道?・・いや、食物を買っていたら滅びたかも。アンデルセンは、公園あたりで詩を感動的に読み上げていたら、周囲から拍手があがった。ボロボロのアンデルセンは、それが冷やかしの拍手とも知らないで、ますます大きな演技をしたとか。すると周囲がブラボーぐらいの声が上がったのだろうが、やがて、あまりの熱心さに笑えなくなったようだが。正確な話ではないのだが、そうなると、元々、才能のある人であったからパトロンが現れ、上級学校に行くことができたのだ。うーむ、足長おじさんのような話だ。
さて、今年の冬は、雨でも晴れでもない日が続いた。つまり、晴と雨の中間だ。これが長く続くと、日照不足と雨不足で穀物には実が入らなくなる。理想は、晴れと雨と曇りが同じ割合だ。これで、水も日照も足り、暑すぎや紫外線からも保護されるのだ。
てなわけで、神様は闇と光を分けられた。闇は悪魔の支配する世界とし、裏切り者の天使たち、つまり3分に1が天界から落とされたという。闇を説明するのには光の反対というのが良いらしいのだ。
似たことが起こった。それはユダというイエスの使徒(まあ弟子だ)の一人が裏切ったことだ。ダンテ(地獄を見てきたという)の新曲によれば、ユダだの堕天使(これが悪魔の本体)だのは、それこそ地獄の最下層で、罰を受けて苦しんでいるという。
悪魔は、反自然的存在である。彼は、人間を試し、そうして堕落に導くのである。釈迦やイエスが瞑想と断食で修行中、サタンが何度も欲望を試す誘惑をしてきた。つまり、悪魔の正体は「自我」であるとはインターネッツの記事だ。まあ、当たっていよう・・・つまり克己(自分の原始的欲望に勝つの意)が大切なわけだが、しかし、釈尊は程度をわきまえた“中”を良しとされた・・・釈尊(仏陀)の悟りの一つである。
ちょっと、まとめよう。
少し学問中毒(無しではいられない状態・・・異性無しではいられないとなると精神病)になるぐらいが正しい。たいていは、己の欲望に勝てない・・凡人とはコレだな。また、裏切り者のことを敵と呼ぶのだが、君は大丈夫か?

最近のコメント