梅林公園に行こう2015年02月06日 00:53

梅林公園に行こう

谷尾崎梅林公園 梅まつり

 物事には、何でも背景がある。突然と開く別世界の話であるが、父が、フーとため息をつく。これは運命だと自分に言い聞かせるしぐさである。金峰山の登り口近くの盆地でのことでのことで、正確には、もう少し上の世界のことだが。ため息は、息子のことである。そうして、その息子は、あの嘆きを裏切らない成長をしたというから、我々は、あまり悲観などしないが良いように思う。

 何を嘆いたかと言えば、息子の生まれつきの思考力の弱さだっと。あれでは、後をまかせられまい。反面、親でもあったから、憐れにも思った。だが、母親は神社だの何だのにお参りをとかを言い、また、どこからか奇蹟を行うという行者も連れて来た。行者は、あなたの家の神棚は、どっちを向いていますかな、と言う。
 神棚は台所の隅にあって、東向きですと答えるが、突拍子もないことで父親は鼻先で笑っっていた。が、なぜ結婚したか分からん母親は、このようなことを非常に気にするタイプで、西向きですと答え直した。行者はポンと手を打って、それではと、現代換算の1万円だったように思う。主語と述語が合わないなど日本クオリティだ。

 さて、どっちを向くかというのは妙なことである。神さんは太陽神だから東から出る。初日など東を向いて拝む。神武天皇も、太陽の方向に攻撃するのが良くないと言って迂回したわけで、西向きで問題などは無いのだ。が、尾崎の神社など、北を向いて拝むように配置してあって、神さん自体は南向きとなる。

 だが、このあたり、混乱があるように思う。墓石を見てみると、共同墓地でないものには統一など一切ない。そんなものでは、運命が決まらんのである。
 というわけで、やはり息子の改善には、一向に効果を上げなかったことだが、コレが、カシラ鬼の幼少期であった。で、ここから一気に成人したわけではないものの、カシラは、やや、憐れな過去を持っていたといえよう。このように、それぞれの背景を持った3者が、梅林公園の南東池の底を舞台として繰り広げられたのが、谷尾崎のコブ取り爺さんである。

 主役はコブでもあったから、そうすると主導権はカシラにあることになろう。運命は、2人の爺さん方の努力など関係無かったのだ・・。  ここで、また、思いつくことがある。関係ない話すな・・と思われようが、私も、なるべく語数をケッちっているのは文面でも分かろう。んで、ちょっと思いついたことを言う。昔々、紙芝居屋さんが来た。これで、またもや思いつくことがあるが、これは必死で耐える・・何が何か分からなくなるのだから、必死で耐えてぇ、、

 その紙芝居屋さんは、梅林公園の300m前ぐらいで興業をした。まあ、1ダースぐらいの子ども達が見た。5円か10円の菓子を買って見る。その菓子の中に、麦わらの中にピンク色の砂糖を流し込んだものがあった。この菓子はなかなかの優れものである。麦わらを少しずつ剥いでいくと砂糖の柱がムキダシになる。むろん食べられるし、長くできた者には別のお菓子もくれた。いい日々だった。
 で、それを自慢したわけではないが友人に言ったら「それは無い」と言う!何だよう、古い楽しげな思い出に、難癖って性格悪いよぉ。

 「あれね、そんなことしていては儲からんので、オジサンは売る前に、大半の麦わらをたたいているよ」
 え?すると、昔々の何年もの間の麦わら剥きの修行は意味が無かったと!!
の様に、運命は爺さん方の手に無かったのである。コブが、ドーなるかは、カシラ鬼の手の内にあったのだ。