奈落の底への伝言4/62012年04月06日 20:55

奈落の底への伝言60・・意欲の問題

孔子のような方ともなると、まあ、1000年間に数人しか出てこない逸材であろう。数え方はいろいろあるので異論もあろうが。

その孔子が弟子として入門を許さなかったのが意欲の無い人物だったらしい。つまり、意欲は育てられないとしたわけである・・・。それって、人それぞれじゃない?

なんて言うのは討議が分かっていない人だ。論議に水をかけてはならないから、そういうのが嫌われるのだ。(国際感覚の欠如というか)人それぞれという発言は正しいのだから、その論議は終わるじゃないかしかしだね、何も結論が出ない協議にしたのであるから、その意味で誤った発言であるわけだ。議長がいたら、今の発言は取り消しなさいというべきだな。

話を元にもどそう。孔子は、やる気のない者に教えることを拒否した。そうして、大抵の王様(支配者)は、孔子と比較すれば無学で、やる気のない人であったろうから、結局、孔子は職につけなかったのは当然だな。

 さて、福沢諭吉は修業時代の緒方塾(住み込み型)を公立化したような研究所のイメージを述べ始まったところで、その危険性も思い浮かんだというかタブーにも触れたような感じで、主張している論理を急いで収束させた。というか、彼の苦労は並大抵ではなかったからこそ感傷的だった。後で紹介する蘭学事始(杉田玄白の)を輪読のようなことをした時も、やはり、感涙して言葉を詰まらせたという。・・そこは、杉田玄白が“オランダ語の原書を前に「艫舵(オールもかじ)もない船で大海に乗り出すようで、つかまる何物もなく、ただ、呆然とあきれるばかりであった」”の箇所であったという。 

なかなか“意欲問題”に帰れない本日であることよ。



奈落の底への伝言4/6の22012年04月06日 21:07

奈落の底への伝言61・ケンブリッジのカレッジ

アマゾンで540円。藤原正彦という方の“天才の栄光と挫折”をながめると、やや驚く。内容が、意外に人間くさい天才たちであるのは予測済みで、そうではなく、福沢師匠の“樂事”の補足に相当する内容である。

ニュートン(今も、この人の数式で世の中は動いているのであるが)の晩年の憂鬱の説明である。彼の創作期間は短い。大学卒業期の1年余と、それをまとめた著作の時期の20年後の1年半であるという。その集中と持続力は超人的で寝食を忘れたようである。が、しかし、やがて更年期障害が襲うのである。肉体が元気で無くなるので、集中も持続も記憶も衰えてきて、以前の価値観の中心であった創造だの発見だのが失われてくるのだ。焦燥感と共に自己嫌悪にすらなるのであるという・・。数学とか物理学とかは若者の学問であるらしい。何しろ、若い頃の集中力は副作用として、友情だの、愛情だの、アホくさい人付き合いだの、道楽趣味などは皆無であるから虚脱しか残らない・・らしいのだ。

師匠の樂事の演説は晩年であったから、ヨーロッパの大学(カレッジ)事情を知っていたはずである。カレッジといえば、自分などは単科大学とぐらいに理解していたが、ネットで見てみると全寮制というか修道院のようなものである。緒方塾との違いは、ここのフェロー(奨学生に近い)ともなると、食事代も衣食住も心配無用で、まあ、学者の放し飼いのようなものであった・・いや、現在も、それに近いとのこと。カレッジ内に寝起きしているので独身を通すとか!すご。

そうか、師匠は、その制度が欲しかったのであろう。ニュートンに住んでいたような(トリニテイ(三位一体の意)カレッジ)所にいたら自分の人生には違った展開もあったことを思えば、涙も出たことであろう。だが師匠、ニュートンがいた当時のケンブリッジ大学(カレッジの集合体の)は、聖職者(殉教的な)の養成が主目的で、数学も科学も無かったのですよ。ただ、2年次の時に某ジェントルマン(この名は産業革命後のものだが)の基金で講座が開かれたとかですが、基本的には独学でしたよ。つまり、師匠との差は経済力だったとなりますね。だが、そこが大変であって水でもかけられたように困ったのだ・・でしたねえ。ソカソカ。

きん


奈落の底への伝言4/6の32012年04月06日 22:21

奈落の底への伝言62・・ニュートン

理科の実験式というのがある。これを、たとえで言えば次のようなものだ。ニュートンは、喧嘩をした。まあ、思春期ぐらいの時期だが。またシュバイツアーも喧嘩をした・・もう少し幼い時期だったが。しかし、二人は、その後に優秀になっていった。

おお、喧嘩は人を優秀にする。・・これが実験式である。どんどん喧嘩をさせるべきであるが一般式で、そうして、その理由を突き止めれば公理というか公式(または定理)となるのである。

コペルニクスの地動説にはじまりケプラーは惑星(木星や火星だのだ)の運動が実験式的に楕円であるというのを突き止めた。彼らは医師とか観測家であったから、まあ、そのあたりまでだった。だが、これだと、なぜ楕円軌道なのかが説明ができない。ニュートンは物体に引力があると考え・・・そのためには力が物体間の距離の二乗分の1比例している必用があることを計算で突き止めた。23歳ごろの自宅でのことだった。惑星は数個あるので連立方程式のようにすれば、大抵の星の質量や定数も求められたであろう。引力自体があることはリンゴの一件で判明していて理由は分からなくとも存在は明白だったし。

すでにデカルト(哲学者の)によって幾何学は代数(方程式のこと)で表すという革命も知っていたニュートンは、数式が宇宙を記述する文字であるとして創造神の秘め事を発掘したのである。神様はこのようにスゴイと示したわけだ。ハレー彗星のハレーは、ニュートンが、薦めに従って理論を公開してくれたこと(製本させた)に「興奮のあまり死んでしまわなかったのはまさに幸運だった」と言ったと。こうして新時代が幕を開いたのである。福沢師匠がいう“一人の学力が全世界を動かす例もある(伝言58)”という話は、ニュートンのことであろう。

ぽ